協力隊は仕事としては考えられません

ルナ動物病院

2008年09月24日 10:07

青年海外協力隊でどんな事(仕事)をしていたの?
よく受ける質問です。
私が赴任していたのは、ザンビア共和国にあるマザブカという地方都市でした。
ここに、協力隊隊員だけで立ち上げた
『マザブカ地区伝統農家開発プロジェクト』がありました。
農家の主な収入源はメイズと呼ばれる主食のトウモロコシです。
木を切り倒し、木炭を売って生計を立てている村人もいます。
そのためザンビアも砂漠化が着実に進行していました。
家畜を持っている裕福な農民も、
家畜は財産であり、冠婚葬祭で使用したり、使役させるだけのもので、
経済利用はほとんどしていませんでした。
旱魃などがあれば、農作物は取れず、アメリカなどから援助された物資でかろうじて生活できる経済レベルです。
もちろん、ガスも水道も電気もありません。
皆さんが、TVなどで見るアフリカの村の様子を思い浮かべれば想像がつくでしょう。
村の生活については後ほどご報告します。
こうした農家の状況を踏まえ、いろいろな業種の協力隊員が協力して
農家の生活レベルの底上げを狙ったのですが・・・。
私が、赴任したのはこのプロジェクトが発動して5年目のことでした。
獣医師の他に、家畜飼育の隊員、村落開発の隊員、社会学の隊員、自動車整備の隊員が、任期延長したり、後任隊員を呼んだり、
常時7~10名で協力し合い活動していました。
協力隊員の任期は2年です。
現地スタッフはドライバーやサーバント(お手伝いさん)、ウォッチマン(ガードマン)です。

『プロジェクト』という名前はかっこいいのですが、
村人の生活の質が少しでも向上するために、一人一人の隊員ができることはないかと自分自身で考え、
立案し、他の隊員と協議して、実行する。
マンパワーの、草の根運動でした。
『プロジェクトX』のような、壮大なスケールなものではありません。
各隊員が協力し合って、仕事をスムーズにできるように調整していきます。
予算もプロジェクトとして割り振られていたので、他の地域の協力隊隊員に比べ、やりたいことができたことは幸運でした。
そうした、予算や人員の調整を行うコーディネーターが一人ついており、
『マザブカ地区伝統農家開発プロジェクト』は動いていたのです。
私自身がしていた事(仕事)、各隊員の仕事について、詳しくは次回お話します。

基本的に、発展途上国の人々が我々協力隊=日本に期待しているものは、ドネーションと呼ばれる援助(器具・機材・金品)です。
継続性のある活動が一番大事なのですが、発展途上国での治安・経済レベルからいっても、続けていくために海外の援助に頼らざるを得ません。
私のいた村にも、日本だけでなく世界中の支援でつくられた井戸がありました。
露天の手汲み式の井戸も、メンテナンスしなければ埋まっていきます。
ポンプ式などは故障しても村には部品を買うお金もないし、修理する技術もないのです。
鉄くずになったポンプ式井戸がいっぱいありました。
こうした光景はいたるところにみられます。

私は2年間の任期だけでしたが、協力隊を仕事として考えると、
最後まで何かを成し遂げた気持ちにはなれませんでした。

それで悟ったことは、
『何かを与えようとして活動しても報われない、何かを得ようとして活動しても楽しくない。』
ということでした。

自己満足でいいから、自分が今できることを、やりたいことを全力でやる。


発展途上国の人々は、ドネーションを期待しています。
協力隊員は、草の根運動として、マンパワーとして発展途上国の人々のために活動したいと願っています。
このギャップをうめ、なおかつ日本人っていいな~。友達になりたいな~。
と発展途上国の人々に思ってもらうように、みんな頑張っているんです。

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