自問自答の毎日です。
提供される仕事をするのではなく、自分で考えて仕事をするのは、
日本人にとって不得意な、しかも大学出たばかりの新米獣医では不安なことばかりでした。
アフリカでの動物の治療行為は、
前回お話したように限度があります。
しかも、人間の治療も満足にされない、平均寿命40歳程度の国で、
動物の治療行為はどこまでゆるされるのでしょうか?
いつもそのようなジレンマがあったので、
私の気持ち的に、治療行為より啓蒙活動のほうがやりがいはありました。
『農民セミナー』です。
私の思いを農家にぶつけ、問いかけ、農家の要望を聞くほうが、治療より達成感はありました。
英語で話し、獣医助手が現地語に訳してくれました。
獣医助手とは、農村部に住み込み、農水省の仕事をこなす地方公務員です。
『ディッピング』なども、彼らの協力を得て行っていました。
彼らは短大を出て、【獣医助手】の資格を得ています。
大学に行ける人たちは国民のごく一部なので、日本なら国立大にいけるほど優秀な人たちです。
セミナーでは、病気予防の必要性を説き、病気の発見、治療法、牛の飼い方を聞いたりしました。
このような、優秀な獣医助手が村の中に入り、実際に農水省の仕事をしています。
といっても、農水省自体が何をしているのかわかりませんでした。
そこで、優秀な人材が遊んでいるのがもったいなく感じ、獣医助手の意見も聞きたくて
『獣医助手セミナー』も開催したのです。
彼らは公務員なので、集めるためには彼らの雇い主であるザンビア政府との話し合いが必要でした。
私たちの『プロジェクト』は、ザンビア共和国マザブカ地区農水省の管轄で、局長は獣医師のDr.シアメです。獣医助手の長も同じなので、話は非常にやりやすく、金銭面を除けば比較的スムーズにアレンジできました。
農水省から正式な書類の発送、経費の問題、開催場所、宿泊場所の問題。
個人の移動手段は自転車しかない国で、村から町への移動は1日がかりです。
日本のように、行きたい時にどこにでも移動でき、何でも手に入り、宿泊がネットですんだり、電話一本で事足りる場所ではないのです。
農水省と交渉したのですが、結局宿泊費用はプロジェクトから捻出するしかありませんでした。
開催場所は短大の教室を借りられ、Dr.シアメと私と私の後任獣医隊員の伊藤先生で病気の予防・治療などを話しました。
局長との話し合いのメインテーマは、やはりザンビア政府から獣医助手への給料、道具、薬剤の不足問題になってしまいました。
何もないのですから、当然ですね。
内政問題なので、我々第3者は貝のように口を閉ざして、聞いていたのは言うまでもありません。
私のような大学を卒業したばかりの経験もない獣医師が、政府の官僚相手に交渉したり、セミナーなどを開催できたのも、『青年海外協力隊』の後ろ盾があったからこそです。
青年会海外協力隊はボランティア活動で、皆さんの税金が投入されている国の事業です。
国際協力などという大きなことができたわけではありません。
税金の使われ方が近年騒がれる中、
私が行ったような自己満足の世界で勘弁していただけたら、本当にありがたいことです。
『日本人っていいやつらだ。』と、思われていることを願っています。
仕事のご報告は、以上です。
次回から、生活や遊びについてご報告します。
おまけ:
ザンビアの第一公用語は英語、第二公用語がニヤンジャ語(都市部の言葉、日本でたとえるなら東京弁)です。
70以上の部族があるので、その部族ごとの言葉もあるそうです。そのため、大きく4つの地区ごとの言葉もありました。
私がいたマザブカ地区はチトンガ語でした。
『マボガブティ』=こんにちは、げんきかい?
『ガボット』=げんきですよ。
この程度の日常用語は覚えましたが、日常生活は英語でOKです。
第一公用語が英語ということは、小・中学校の授業が英語で行われ、公的な場所では英語だということです。
しかし、家庭内や友だち間では第二公用語が話されているのはいうまでもありません。
村の農家のお年よりは、現地語しか話せません。
私自身がたどたどしい英語です。
通訳を通した言葉が、どの程度通じていたのでしょうか。
小学校を中退した農家のオヤジさんのたどたどしい英語と、私のたどたどしい英語同士で、変な会話になっていたことも多いでしょう。
獣医助手のセミナーでは、大学を出たエリートに対し、英語で授業しました。
今考えると冷や汗が出てしまいますが、どれだけつうじたことでしょう?
日常会話程度はできるようになった英語も、今では全く話せません。
協力隊に行って、今役立つことは唯一語学力だというのにもったいないことです。