2009年02月01日14:58
本日は協力隊の思い出です。
私は青年海外協力隊に参加し、アフリカのザンビア共和国に2年間暮らしました。
皆さんに「いったい、あっちで何をしてたの?」とよく聞かれます。
アフリカでは、協力隊が立ち上げたプロジェクトチームの一員として働いていました。
『マザブカ地区伝統農家開発プロジェクト』マザブカ トラディショナル ファーム ディベロップメント プロジェクト
略して『MTDP』。名称はかっこいいでしょ。
獣医師の私だけでなく、家畜飼育、村落開発、自動車整備、社会学など様々な職種の隊員が集まり構成されていました。
なんとなく、やってることも想像できると思います。
詳しくはカテゴリーで【協力隊の記憶】を読んでください。
しかし、この職業なにをしてんだろ?
とみなさんが不思議に思うのが、『社会学』の隊員です。
このプロジェクトは、
『伝統的な生活を送る村の人々の生活を、いかに経済的にも安定した生活にするための手助けができるか。』
ということを、目標に計画されました。
そのため、現地の人たちの考え方、文化を理解し、摩擦なくよりスムーズに協力しなくてはいけません。
私たちが物事をなす時に、我々にアドバイスしてくれたり、
現地の人たちに理解を促し、一緒に考えてくれるのが社会学隊員です。
日本的に物事を推し進めても、生活様式をかえることはできません。
異文化と接するには、現地の人々の考え方を理解しなくてはいけないのです。
なんとなく、わかりましたか?
社会学の隊員は村の中に家を借り、現地の人たちと生活することで相互理解を深めていました。
この写真は、社会学の隊員が住んでいた家での葬式風景です。
女性は上半身裸で、昔ながらに死者を送り出すのだそうです。
普段はみなさんオッパイを隠しています。
全裸の部族など、今の世の中ありえません。
少なくともザンビアではお目にかかれませんでした。
これは、社会学の隊員がお世話になっていた村を離れる時の送別会です。
ザンビア人は歌も踊りも大好きです。
トウモロコシでつくったどぶろくのようなお酒を飲み、
打楽器を叩き、口笛、手振り、おどります。
社会学の隊員は、電気も水道もない村の中に生活することによって、
こうした異文化のことを理解し、接し方を我々に教えてくれたのでした。
そして、実際彼らの中で生活することで、日本人の文化、考え方もアフリカに広めてくれたのです。
社会学の隊員
カテゴリー │協力隊の記憶

私は青年海外協力隊に参加し、アフリカのザンビア共和国に2年間暮らしました。
皆さんに「いったい、あっちで何をしてたの?」とよく聞かれます。
アフリカでは、協力隊が立ち上げたプロジェクトチームの一員として働いていました。
『マザブカ地区伝統農家開発プロジェクト』マザブカ トラディショナル ファーム ディベロップメント プロジェクト
略して『MTDP』。名称はかっこいいでしょ。

なんとなく、やってることも想像できると思います。
詳しくはカテゴリーで【協力隊の記憶】を読んでください。
しかし、この職業なにをしてんだろ?
とみなさんが不思議に思うのが、『社会学』の隊員です。
このプロジェクトは、

ということを、目標に計画されました。
そのため、現地の人たちの考え方、文化を理解し、摩擦なくよりスムーズに協力しなくてはいけません。
私たちが物事をなす時に、我々にアドバイスしてくれたり、
現地の人たちに理解を促し、一緒に考えてくれるのが社会学隊員です。
日本的に物事を推し進めても、生活様式をかえることはできません。
異文化と接するには、現地の人々の考え方を理解しなくてはいけないのです。
なんとなく、わかりましたか?

この写真は、社会学の隊員が住んでいた家での葬式風景です。
女性は上半身裸で、昔ながらに死者を送り出すのだそうです。
普段はみなさんオッパイを隠しています。
全裸の部族など、今の世の中ありえません。
少なくともザンビアではお目にかかれませんでした。

ザンビア人は歌も踊りも大好きです。
トウモロコシでつくったどぶろくのようなお酒を飲み、
打楽器を叩き、口笛、手振り、おどります。
社会学の隊員は、電気も水道もない村の中に生活することによって、
こうした異文化のことを理解し、接し方を我々に教えてくれたのでした。
そして、実際彼らの中で生活することで、日本人の文化、考え方もアフリカに広めてくれたのです。